ロースカツ定食と左手 (2)
奇跡は演じられなかった。
いつもなら脳内創世記(前回の記事)を楽しみながら恍惚とした表情で「ロースカツ定食」を味わっていたはずだ。
欠けている。いつもとは何かが違う。フルキャスト・ノーカットで上演されたにも関わらず、今回の公演は何かが決定的に足りていなかった。
その欠落が具体的に何なのかは分からなかったが、調和という現象のエッセンスであることは間違いなさそうだ。そしてその所在も明らかである。定食側にまったく落ち度が見られないからだ。
原因は「こちら」側にある。
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食べ物がなぜか不味い。こういう時は、大抵、食べる側に原因があるものだ。
人間はその時の体調や精神状態によって外界に対する態度を大きく変える生き物である。体調の針がほんの少し傾きを変えただけで味覚なんていとも簡単に狂ってしまう。
そういえば、こんなことを思い出した。あれは風邪を引いて学校を休んだ日のことだ。
母に温かいココアをお願いした。正直、食欲はまったくなかったが、それでも何も口にしないよりはマシだろうと思った。
運ばれてきたココアを一口飲み、ひどく驚愕した。体調が悪いとこんなにも味覚が変わってしまうものなのかと。
いつもなら感じられるココアの柔らかな甘み。それが全く感じられない。
感じられない、というか、明らかにそこに存在していない。っというか、どちらかというと辛い。明らかに塩辛い。
母がそのココアをひと舐めして一言。
「ごめん、砂糖と塩、間違えた」
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恐ろしいトラウマを思い出してしまった。
「砂糖と塩を間違える人」なんてのは、空想上の生き物だと思っていた。
マンガやアニメならまだしも、この現実世界に存在しているとは。しかも自分の母親がそうだったとは。
「私、魔法少女なの!」と母親から打ち明けられる並のインパクトだった。
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話を戻そう。
(話の脱線は好きだが、文字通りそれは事故である)
日本人が何気なくしている「白米」と「おかず」の三角食べ。おかずを食べながら白米を食べるという日本人なら誰もがやっている食べ方だ。
なんでも日本人は食事をするとき、口の中の「白米」と「おかず」の量を調整しながら自分にとって最適な味になるようにその都度、調味しているというのだ。
コレを「口中調味」と呼ぶらしい。
「日本人は」を強調したのは他でもない。聞くところによれば「口中調味」は欧米人にはできない芸当らしい。しかも欧米人が日本食を食べてもできないというのだ。
つまり、再三、「調和の奇跡」と呼んで有り難がっていたアレは、実は限られた人間しか体験することのできない演目だったということになる。
本当だろうか?
何故、欧米人にはできないのだろうか。
欧米人だって主食が白米でないというだけでパンで同じようなことをしているのではないだろうか。
怪しげなトリビアは、常にその成分表示(根拠)を確認することにしている。
(トリビアというのはジャンクフードなのだ。美味しいが身にならないことが多い)
とはいえ確かに、欧米人が主菜を食べながらパンを食べているという光景はあまり頭に浮かんでこない。ひとつの料理を集中して食べているというイメージがある。
そもそも欧米はナイフとフォークが食文化の基本だ。右手のナイフで対象を切り分け、左手のフォークで対象を口へ運ぶという食事作法である。
ナイフとフォークを持った状態ではパンを持つことはできない。フォークでパンを刺すなんて光景も見たことがない。パンは手でちぎって食べている。
だとすれば、パンで「口中調味」をするためには、どちらかの手を開けてパンを取るか、あるいは口の中に料理を保持し続けて両手でパンをちぎりながら食べるしかない。
こうやって想像すると、なんだか少し下品である。
つまり欧米人が洋食で「口中調味」をしないのは、そもそも食事作法において「口中調味」が想定されていないためではないか。「口中調味」のために最適化された日本の食事作法とはまるで違う。
では、欧米人が日本食を食べても「口中調味」ができないというのは何故なのか。
日本人は右手に箸、左手に椀や皿。
欧米人は右手にナイフ、左手にフォーク。
ああ、そうか。なるほど!
思わず膝を打つ。自分の中で稲光りが起こる。
何故、今日のロースカツ定食がイマイチ美味しくなかったのか、何故、欧米人が「口中調味」をできないのか、その疑問が自分の中で一挙に解決してしまったのである。
答えは自分の「左手お仕置きキャンペーン」にあった。
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「左手お仕置きキャンペーン」
利き手ではない「左手」であえて箸を持つことで、左手の強化、あるいは脳の活性化を狙う、そういうことをたまにする。今まさにそのキャンペーン中であった。
最近はわりと左手を器用に使えるようになってきたのであまり気にならなかったのだが、左手を使っているということを意識してみると、やはり確実に右手より不器用だ。
ロースカツを口の中へ運んだ後、少し辛いなと思って白米をすくいにいくのだが、いかんせん左手ではそれが少し遅れる。白米を口の中へ入れた時には時すでに遅し、ロースカツの咀嚼はだいぶ完了していて、我慢できずにいくらか飲み込んでしまっている。
このワンテンポのズレが、いつもより美味しくないと感じる原因だったのだ。最適な「口中調味」ができていなかったのである。
こうやって考えてみると「口中調味」をするためには口の中へテンポよく食べ物を運ぶ必要がある。器用な箸使いが前提なのだ。
だとすれば「欧米人が口中調味できない理由」もコレなのではないか。欧米人が日本食でも「口中調味」できない理由は「ぎこちない箸使い」に違いない。
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自分の中で完璧に謎が解決した。こうなれば、もはや検証など不要である。自分の気持ちが晴れることに意味があるのだから。
調味できなかったロースカツはすべて飲み終え、文字通り溜飲が下がる。スッキリした気持ちでそっと箸を右手に持ち替えた。
さぁ、こうなれば約束された何度目かの奇跡の再演だ。
嗚呼、きっと僕はこの謎を飲み込むために生まれてきたのだ。
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今日のサンプリングソース
「左手お仕置きキャンペーン」
ARIA The ANIMATION 第6話でアリスが自らに対して行なったキャンペーン。自らの左手を叩いて真っ赤にしているというストイックぶりに感化された。
