なぜ「African Battle」と間違って広まってしまったのか?

2020年3月25日、カメルーン出身のサックス奏者Manu Dibango氏が新型コロナウィルスにより逝去された。急な訃報に驚いたとともに、偉大なアーティストまで命を奪われている現状にひどく気持ちが沈む。お悔やみ申し上げたい。

Manu Dibango氏と言えば、いわゆるアフロファンクの先駆者であり、ファンクミュージック好きならもちろん、B-BOY、B-GIRLなどのダンサーやDJの間でも有名なアーティストである。

中でも以下の曲はB-BOYアンセムとして良く知られ、ダンスをしている人であれば一度は耳にしたことがあるはずだ。(いわゆる音ハメの代表曲である)

ところでBreak DJの間ではこの曲について非常に有名な話があるのだが、あまり知られていないようなので、今回は追悼の意味も込めその話をしていきたいと思う。

実を言うと、B-BOYアンセムとして有名なこの曲、本当のタイトルは「African Battle」ではない。驚くべきことに世界中で曲名が間違って認知されているのである。

そんなことが本当にあるのか?と疑いたくなるような話だが、事実、そのようなことが起きてしまっている。何故、そのようなことが起きてしまったのか。

この曲がダンサーを中心に有名になった時期を振り返りながら考察していきたい。

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私の記憶が間違っていなければ、この曲がB-BOYシーンにおいて流行し始めたのは2000年前半、日本においては2001年~2002年頃からであったように思う。

ブレイクダンスの世界大会Battle Of The Yearの2001年の映像を見ると、DJとジャッジ紹介の際、DJ Leacy氏がこの曲を使って2枚使いをしているのが確認できる。

私個人としても初めてこの曲を聞いたのがこの映像であったと記憶しているし、おそらく世界のB-BOYシーンへ広まっていったのもこのあたりの映像がキッカケという印象がある。

ではそもそもこの曲が初めてリリースされたのはいつなのか。

この「African Battle」と呼ばれている曲が、一番最初にリリースされたのはDiscogsのデータベースを参照する限りおそらく1972年である。

(つまりB-BOYシーンで流行するはるか30年近くも前にリリースされた)

しかも最初の収録アルバムでは、曲名がすべて「Thème N°○」」となっており、現在、「African Battle」として認知されている曲も「Thème N°3」と記載されていた。 要するに最初はBGMライブラリーのようなイメージでリリースされていたようだ。 (恥ずかしながら、こちらは入手していないので正確な情報は確認できない)

そしてどうやら翌年1973年には、収録曲すべてに正式なタイトルが付いた状態で再度リリースされている。この時「かの曲」にも正式なタイトルが付くことになる。

オリジナルのレコードが手元にない人でも、iTunesで再発されているためそちらを確認すれば良い。「Africadelic」という名前のアルバムに収録されているので、そのアルバムを探し視聴してくと・・・。

見つかった。「The Panther」である。これが本当の名前である。

では、一体「African Battle」という曲名はどこから来たのかと言えば、実はこの「The Panther」と同じアルバムに収録されている別の曲のタイトルが「African Battle」なのである。

さらに言えば、オリジナルのアナログレコードでは、「The Panther」と「African Battle」の曲順は隣り合っているのである。

この状況を見れば、一体何が起きてしまったのかは想像に難くない。要するに曲名が一つズレて認識されてしまっているのである。(ちなみに本当のAfrican Battleがどんな曲なのかは、皆さんの耳で確かめてもらいたい)

何故、このように曲名が一つズレて世界のB-BOYシーンに認知されてしまったのか。これには一つ大きな理由があると私は考えている。

1998年に「The Panther」が収録されたコンピレーションがUKで発売されている。

「Africafunk: The Original Sound Of 1970s Funky Africa」である。

タイトルからも分かるように、1970年代にリリースされたアフリカのファンクミュージックをかき集めたコンピレーションである。

問題は、このコンピレーションに収録されている「The Panther」が、何故か「Manu Dibango – African Battle」と表記されてしまっていることである。

オリジナルアルバムである「Africadelic」は、2000年代当時はそう簡単に市場で出会うことができないレア盤であった。(見つかっても高価)

そのため自分のように学生バイトしながらレコードを集めていた人間は「Africafunk:The Original Sound Of 1970s Funky Africa」の方を購入して「African Battle」を手に入れていた。

オリジナル盤にこだわっていた人ももちろんいただろうが、自分のような人間も世界的に見て多かったはずだ。

そんなわけで、1998年に発売されたコンピレーションをきっかけとして、2000年前半にDJやダンサーを中心に「Manu Dibango – African Battle」として認知されていくことになる。そりゃそうだ。コンピレーションにそう表記されていたら、誰もその曲名が間違っているなどと思わないだろう。

私自身、この誤りを知ったのは、TAQさんというDJの方からだった。

「オリジナルのアルバムを手に入れただけど、どう見てもタイトルがAfrican Battleじゃない」

その話をTAQさんから聞いたときは自分も半信半疑だったが、その後、自分もオリジナルのアルバムを入手して確信を得ることになった。天動説から地動説への転換を迫られる学者の気分だった。

ところでコンピレーションを制作した人は、誤って「African Battle」と表記してしまったのだろうか。はたまた、あえてフェイクネームとして使用したのだろうか。この点については以前、謎のままである。

(この手のコンピにはフェイクネームという、あまり個人的には好きではない文化が確認される)

いずれにせよ「African Battle」として世に広まってしまったのは、このコンピレーションが原因の一つであることは疑いようがないと私は思う。

罪があるとまでは言わないが、アーティストへの敬意を払うのであれば、せめてそこは正確に行なってほしかった。

そんなわけで今日まで誰によっても認知が正されることなく、しまいには現行アフロバンドであるBrownoutも2007年には「African Battle」としてカバーしリリースしてしまっている。(これはもしかしたらわざとなのかもしれないが)

以上が「African Battle」の真実と私なりの考察だ。もしかしたら「そこは違う」というご指摘もあるかもしれない。それについては是非、ご教授頂ければと思う。私も勉強になる。

さて、こんな記事を書くと、いかにも誤りを正そうとしているかのようだが、自分としてはそのような意図はまったくない。

B-BOY、B-GIRLの間では、やはりこの曲は「African Battle」であり、そうやって過去の名場面も記憶されている思う。そこへ今さら水を指すこともない。

それに「African Battle」の方がシックリ来てしまっている自分も確かにいる。

アフリカの情熱的な闘争感をあの曲から感じてしまっている。(最初にAfrican Battleとして認知したせいも多分にある)

この記事を読んだ人に何らかの価値があるとすれば、今後「The Panther」がフロアでかかった際に「実はこの曲のタイトルってAfrican Battleじゃないんだよよね」と話のタネにはなるかなという点と、これから自分たちが天国に行って、Manu Dibango氏に会う機会があったとしたら、「African Battle最高でした!」などと言うより「The Panther最高でした!」という方が良いのではないか。という2点くらいだろうか。作者本人の前で誤りに気がつく事態は誰だって避けたいだろう。

いずれにせよ、自分たちが普段、聞いている音楽は(当たり前だが)誰かが作ったモノである。自然界から勝手に湧いた曲など一曲としてありはしない。

そして出来上がった曲には作者によって「名前」がつけられる。命名されるのだ。文字通り命が吹き込まれる。

作者が何を思ってその曲を作り、そして何を思ってそのタイトルをつけたのか。

そんなことにも思いを巡らせながら音楽を享受したいと思うと共に今日はManu Dibango氏の曲を聞きながら追悼したいと思う。

そういえば最近かけてない「The Panther」。それでは安らかに。

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